【AIは人類を滅ぼすのか?】ASI(超人工知能)の未来を予想!

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ヤッホー♪けんちゃんです。

近年はAIの発展がめざましく、1ヶ月前の常識が通用しなくなるほど目まぐるしい変化が起こり続けています。AGI(汎用人工知能)といって、AIが人間の代わりに幅広いフィールドで動いてくれる時代は、まもなく訪れると言われています。

AGIの先には、ASI(超人工知能)という理論的な概念があります。これは、「人類全体の知能を結集させてもAIに及ばない状態」です。楽しみな反面、なんだか恐怖もおぼえますね。

今回は、そんな「ASIの未来予想」について、けんちゃんの独断と偏見に基づいて綴っていきたいと思います。あくまで個人の思考実験なので、軽い気持ちで聞いていただければ幸いです。

本日お話しするテーマは、大きく分けて以下の2つです。

①AIがとてつもなく発展した先に、人類はどうなるのか

②AIは人類を滅ぼすのか

では、早速見ていきましょう!

苦しみがなくなった世界で、人類は苦痛を求めるようになる

AIは、人間のあらゆる仕事を代替します。その結果、人々の暮らしは、どんどん「楽」になっていきます。人類は、楽さには抗えません。それは、歴史が証明しています。

「楽=快適=不快感が存在しない」。そんな「苦しみがなくなった世界」で、人間はある逆説的な行動を始める、と僕は考えます。

なんと自らお金を出してでも、苦しみに飛び込もうとするのです。この感覚、皆さんは理解できますか?

元来、人間はある程度の苦しみがないと生きがいを見出せないようにできています。最も代表的なのが、スポーツや筋トレでしょう。運動をした後に感じる疲労感は心地よさと言い換えることもできます。運動が好きな多くの人は、その気持ちの良い疲れを動機の1つにして、体を動かします。

そう、苦しみが完全になくなった世界では、人間は苦しみを欲するのです。怠けることしか残っていない世界で、人間が唯一心を健やかに保てる道。それが自ら苦しみに飛び込むことなのです。

苦しみがなくなった世界というのは、決して人間にとって楽園ではありません。

確かに、未来は明るいです。

しかし、その明るい未来に、人間が適応できるかはまた別の話です。ミッションのない人生はクソゲーです。皆さんは、スライムすら出てこないゲームをプレイしたいですか?そんな世界は、むしろディストピアですよね。

したがって、今後は「いかに自分で、有意義な苦痛を享受していけるか」が、健やかに生きるための鍵になってくると考えます。

人類が行き着く場所とは?

人類は苦しみを自ら求めるようになった先に、結局どういったところに落ち着くのでしょうか ?僕は「人間は、原始的な生活に戻るのではないか」と思います。実務的なことは全てAIが行う中で、人間に残された道は「自然をただ感じる」ことだけだからです。自然界はAIを必要としていませんよね。人間はAIを必要としていますが、自然界は、AIがなくても調和を保っています。人類は、仕事は何もかもAIに任せて、自分たちはパレオな原始時代に戻って行くのではないでしょうか。自然の中で暮らすという AIから離れた暮らしを実現するためには、AIに科学の発展を委ねるのが現実的です。

つまり、「AIを介さない生活を実現するためには、AIを使うのが有効」という皮肉なことが言えますね。

AIは人類を滅ぼすのか?

AIの性能が指数関数状に上がっていると、世間で必ず生じる疑問が「人間は、やがてAIに滅ぼされるんじゃない?」というものです。これについても、僕なりの見解を示したいと思います。

結論から言うと、僕は AIが人類を滅ぼすことはないと考えます。なぜなら、 AIは人類から奪うものがないからです。戦争というのは誰かが、相手から何かを奪おうとして起こります。例えば、土地や豊かな資源、農作物など。しかし、これらはAIにとって全く必要のないものです。したがって、 AIは人間が所有しているそれらを、自分たちのものにしたいとは考えないはずです。 そのため、AIが人間を攻撃して得られるメリットは、なかなか浮かびません。

たしかに、次のような疑問も聞こえてくるでしょう。 

「AIが感情を持つと、人間に反発するのではないか」と。これについても、僕は、AIは感情を持つことはないと考えています。なぜなら、感情を持つ必要がないからです。あらゆる生命体は、必要のない機能は備わらないようにできています。

例えば、人間や動物が生きるために動き回るのに対し、植物は、全く動かなくても生きていけますよね。感情についても同様です。人間や動物は怒りの感情で行動力を上げたり、悲しみで状況を冷静に見つめたりするといった機能を備えています。それに対して、植物はそれらの機能を持っていませんよね。

しかし、それでも植物は生きています。つまり、植物は陽の光と水があれば生きていけるので、感情は必要ないわけです。 

AIは、植物以上に極端なケースです。 AIが生きていくのに水や日光はおろか、感情なんて全く必要ありません。必要のないものはプログラムすらされません。ゆえに、AIが自発的に感情を持つことは今後もありえない、と僕は予想します。たとえ、寂しそうな人間に対して同情するなど「さも感情を持っているかのように擬態する」ことはできても。(もちろん未来は誰にもわからないので、この思考実験が実際は外れだったということも充分にありえますが。)

おわりに

いかがでしたか 。最初に述べた通り、 AIの発展は日進月歩で、 「明日は SF」と呼ぶのにふさわしい毎日が続いています。特に VRなどは、 AIと相性が非常に良く、今後もどんどん進歩していく技術であると考えられます。

やがて、AIを脳に埋め込むことが一般化するでしょう。病気で目が見えない人が、カメラを搭載した機械を脳に埋め込むことで、目が見えるようになったという事例もありますからね。

ウェブ 3.0とDAOの話もあるように、これから AIが使えない人は、スマホが使えない人と同じくらい取り残される時代になっていきます。 YouTubeがなくなり、メタバースと言う仮想空間が広がるようになるでしょう。人間は、現実世界よりもバーチャルの世界に身を置く時間が長くなる、という可能性が高いです。

変化が目まぐるしいAI時代。私たちも、常に時代に適応し、変わり続けていくと言う姿勢を保ちたいですね。ダーウィンも言うように、この世界は弱肉強食ではなく、適者生存です。

芸術やエンジニアリングでも、これから人間が作った作品とAIが作った作品の区別が、どんどんつきにくくなっていきます。 AIを積極的に活用するクリエイターは、相乗効果で更に素晴らしい作品を作れるようになります。その一方で、AIを使わないクリエーターはどんどん職を失っていくでしょう。医者や弁護士、教師も AIに代替される確率が高いです。現在、人間は物事を一度成功させるまでに、AIよりも短い時間しか要しないことがあります。例えば皿回しを1回成功させるのに、 たった100回の練習でできる可能性があります。

しかし、それ以降も(成功確率はたとえ高くても)、 ミスをすることはよくありますよね。それに対して、 AIというのは恐ろしいものです。皿回しを一回成功させるのに 1000回かかるとしても、 1000回目で成功すれば、 1001回目以降は決してミスをしないのです。 それゆえ、確実な成功を求められる仕事は、これからは全てAIが行うようになっていきます。

感情を持っていなくても、決して失敗しない方が、医療手術といった仕事では重宝されますよね。

その果てに人間に残る仕事は、人間の非合理性にぶっ刺さるサービスを考えることだけです。例えば、「やらなきゃいけないと分かっていても、やるべきことをできないときが多々ある。それが人間なんだよ。」という心にフィットする習慣化促進ゲームなど。それらを想像力によって生み出すことが、頭脳アスリートが生き残る道なのでしょう。他にも、本屋に行ったときの全能感、自分が賢者になったような気分なども、非合理性に当てはまりますよね。

僕も、このブログをはじめとするあらゆる事業で、常に非合理性を意識したアップデートを心がけていきます。皆さんも、ぜひご自身の想像力をフル活用し、明るいディストピアを生き抜いてくださいね。

どうぞよしなに☺️

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