けんちゃんの忘れられない挫折について話します。

大学受験

ヤッホー♪けんちゃんです。今回は、今まで詳しく言語化してこなかった僕の過去について話します。

⚠️これはあくまで僕が自分に対して考えていることなので、他の方々を馬鹿にする意図は微塵もないことを予めご了承ください。

けんちゃんの大学受験

僕は、16歳の10月から20歳の2月までの期間を、大学受験で結果を出すために捧げました。誰かに強制された訳ではありません。僕自身がそうしたいと望んだのです。

僕は、大切な人たちの誇りとなり、「けんちゃんがいるから大丈夫だ」という希望を与えたかったです。そのために取り組める目の前の決戦として大学受験があり、僕は西日本のTOPに立ちたかったので京大に行きたいと感じました。

僕が通っていた公立高校は、毎年京大合格者が浪人も含めると50人くらい出る進学校です。ゆえに、京大を目指すことは珍しい話ではなく、西日本最高峰の舞台に自分もたどり着けるのだろうと高校1年生から2浪目の秋くらいまで懸命に信じてきました。「努力はきっと報われる」と。

しかし、結局夢は叶いませんでした。浪人しても、京大はおろか、それより下のレベルの大学にも落ちまくりました。

僕にとって、これほど数字によって自分の不出来を証明された屈辱的な経験はありませんでした。1浪目を終えたときに、滑り止めだった私立大学に進学しました。けれども、入学当初から精神的に病んでおり、授業には集中できませんでした。これはひとえに、自分の中で大学受験に未練があるからでした。母と散々揉めましたが、1回生の秋学期は大学を休学させてもらい、あと1回だけ大学入試に挑むチャンスをもらいました。母は、僕が自分の意思を伝えた瞬間は難色を示すことがあるものの、最終的にはいつも僕の望むようにさせてくれます。その上、金銭的支援もしてくれた僕の恩人です。母がいてくれたからこそ、今の僕があります。

また、進学した私立大学では、法律相談所(法律学の勉強をするサークル)に入りました。後述しますが、そこで僕は最高の友人たちに恵まれました。

そんなこんなで周りの人たちに支えられた2浪目でしたが、不覚にもまた落ちました。不合格が発表された瞬間、僕は意外とサバサバした気持ちになり、「こんなもんか」と悟ったような哀しい微笑を浮かべてさえいました。この「こんなもんか」には「2浪目に落ちたときの感覚ってこんなもんか」という諦念と「自分の実力はこんなもんか」という絶望の、2種類の意味がこもっていました。

未練と後悔はあるが、納得はした。

流石に僕も、「私大に戻ってとっとと単位を回収しよう」という気持ちになっていました。ありがたいことに、法律相談所の皆は僕を温かく出迎えてくれて、本当に救われました。そして2回生(休学していた学生も、制度上留年はない)のとき、通常は2年間かけてとる外国語の単位を、僕は1年間で全て取りました。そして、ブログ執筆やライブ配信、AIの勉強にも精力的に取り組み、起業家志望としてビジネスを始めました。

この1年間で、僕はようやく受験以外のフィールドで戦うことを覚えました。これは非常に楽しかったですし、卓球観戦という趣味にも思う存分浸かることができて充実していました。

しかし、新たな人生を歩み始めた僕が、3回生になってもまだできていない(2026年5月現在)ことがありました。

自分の「今」をオープンにできない辛さ

僕がずっとできずにいることは「自分がどこの大学に通っているか、高校の友人にオープンにする」ことです。僕の中に今も棲んでいる化け物みたいな劣等感が、僕が高校の同級生と距離をとってしまっている原因になっています。周りは京大や阪大に受かっているのに、自分は格下の私大にしか行けませんでした。これは、高みを目指して誰よりも「自分の軸」と「執念」を持って高校時代を過ごしてきた僕にとって最悪の屈辱でした。

当然ながら、人生は大学名では決まりません。どこの大学に行ったかよりも、自分が行った大学で何をしているかの方がよっぽど大切です。また、高校の友だちは僕の学歴なんて全く気にしません。そんなことは「理屈では」わかっています。

しかし、これは僕にとって「感情」の問題です。他者比較をなくせば解決するほどの単純な気持ちではありません。なぜなら、僕は自分自身の誇りとしても京大に憧れていたからです。自分が京大に入れれば、周りが東大に行こうがハーバードに行こうが劣等感は抱きません。僕は大学入試で西日本TOPまで行くことができれば、自分の中で立派な成果として満足します。どこまでいっても僕のエゴなので、他の人に気持ちをわかってほしいとも思っていません。この劣等感は、自分で昇華していくしかないと考えています。

とはいえ、自分の現状や今いる場所を隠したいと感じるのは、非常に気が滅入ります。それは、今の自分を愛せていないことを意味するからです。そんな状態の中、活き活きした目で過ごせるはずがありません。

アルバイトに行って同僚と話をするときも「お願いだから大学名を聞かないでくれ」と心の中でビクビクしています。残念なことに聞かれてしまい、答える(隠しごとをすると相手の信頼を得られないため)ときは、「滑り止めで行ったんだけど」前置きしたくなるくらい悔しい気持ちでいっぱいになります。

ましてや「〇〇大!?すごいね!」なんて驚かれたりすると、更に屈辱的な気持ちになります。「俺はずっとこの挫折による劣等感に苦しんでいるのに。俺は京大を目指していたのに。」と。

他人は何も関係ない。これは、自分自身の不甲斐なさ。

こんなにも自分の学歴を卑下していると、「調子に乗るな。」という声が飛んでくるのは重々承知しています。「そんなに嫌ならやめてしまえ。他に行く宛もないくせに。」「法律相談所のメンバーにも同じことが言えるのか。」という批判もあるでしょう。

全くもっておっしゃる通りです。僕の考えは傲慢です。この記事を読んでくれている法律相談所の皆にも極めて不快な思いをさせているかもしれません。

ですから、ここではっきりと書いておきます。法律相談所は最高のメンバーが集っている場所です。僕は法律相談所の一員であることを誇りに思っていますし、法相に貢献したいと考えています。実際、入学時は50人はいたであろう法相の同期所員も今では、原則全員参加の集まりに来る人数が1桁にまで減っています。しかし、僕は最古参の1人として生き残っています。

その一方で、僕が通っている大学の一部の学生は、不良にしか見えないちゃらんぽらんです。法律相談所以外の場所では、「あんなヤンキーと俺は同じ学歴なのか。何があっても一緒にされたくない。」と思うことも多々あります。これは正直な気持ちです。

心の闇を抱えたけんちゃんが進む道

「そんなに京大に行きたいのなら、自分でお金を工面して大学院受験でも再受験でもすればいいじゃないか。」という声も聞こえてきます。僕も、そうしようかと考えたことがあります。しかし、有限なる20代の期間を、劣等感払拭のために捧げるのは得策ではないという結論に至りました。学部に入ると4年間拘束され、しかも出席必須である外国語の単位を再び集めねばならないのは不毛です。大学院でも2年間、学費を払ってまで人生を費やそうとは思いません。その2年間でビジネスに専念した若手起業家に差をつけられるのは目に見えています。そして何より、今まで散々お金をかけてくれた両親に恩返しをするために、とっとと働いて稼ぐのが僕の使命です。

ゆえに、僕が今も抱えている劣等感は、学歴とは別の成果で祓うしかないと考えています。例えば、ライブや動画配信で顧客を集め、自分のサービスに誘導するなど。京大に行きたい子に受験指導をして、合格へと導くのも良いと感じています。

なんにせよ、僕の学歴コンプレックスは僕自身の成果によって払拭しなければならないと思っています。これは一朝一夕で解決する問題ではなく、僕はこれからもこの屈辱感と向き合っていかなければなりません。アルバイトの自己紹介でのビクビクも、僕が学歴以外で誇りを持てるアイデンティティを確立できなければ消えません。

僕はまだ、完全に吹っ切れることができていません。しかし、何も手につかなかった1回生の時とは違い、心に傷を負いながらもビジネスに取り組めています。まだまだ不完全なメンタルですが、1日1日を有意義に過ごしています。そして9月には、今はまだ話しても僕は心から笑えないと感じている、大好きな高校の同級生に胸を張って会いたいです。

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